■ 英国スピッチリー姉から届いた「ふじんメモ」 ■


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■2015/09/05 (土)

  • 久しぶりに届いたスピッチリ-姉からのメールです。

    主イエスの尊い聖なる御名を褒めたたえます。
    主にあって敬愛いたします三浦兄、いつものお便り(週報)ありがとうございます。

    私自身は切手を集めませんが、いつも古切手を取って置きます。
    なぜかと言うと、いくらか集めるとイギリスにいる兄弟に送るためです。

    ヘブライ語/フランス語、ヘブライ語/ポルトガル語などの旧約聖書また新約聖書、また聖書全体の切手を、近所に住むユダヤ人の兄弟を訪問して差し上げています。
    旧約だけもらう人もいれば、新約の切手は断る人もいます。中には激怒する人もいますし、聖書全体をもらってくれる人も少数ですがいます。

    切手がいくらか集まるとその兄弟は売りに行きます。
    そのお金で聖書、旧約だけ、新約だけの印刷の費用に充てます。

    もちろんこの働きのためにお金を得ています。すべては主のための働き奉仕です。

    そのように三浦兄もその働きの仲間です。ありがとうございます。

    キリストの愛に、スピチリグロリア


  • ■2014/9/24 (水)

  • ふじんメモ67「旧約聖書の物語」
    主イエスの尊い聖名がほめられますように。
    主にあって敬愛いたします兄弟姉妹、私がこのごろあじわったみことばをみなさんとお分けしたいと思いました。
    かんたんですが、どうぞ読んでみてください。
    Gloria Speechley

    旧約聖書の物語

    おもに旧約聖書は三つに分かれています。歴史、詩編/賛美、預言です。歴史物語の中で、サウル王の孫メフィボシェテについてのおもしろい話があります(2サムエル9章)。
     父はサウルの息子ヨナタンですが、メフィボシェテは宮殿で裕福に育てられたのではなく、エルサレムからはなれた田舎に住んでました。なお5歳のとき、メフィボシェテを抱いて逃げた女中が彼を落として彼の両足は不自由になりました。
     ダビデは王になってから、サウルの家来ツィバを呼んでサウルの子孫で残っている者がいるかと尋ねました。ツィバはメフィボシェテのこと、そして彼が足の不自由な状態であることを知らせました。するとダビデはすぐに使いをやってメフィボシェテを呼び出しました。メフィボシェテは驚いたに違いありません、また不安だったでしょう。でも王様からの命令なのでで行かなければなりませんでした。
     メフィボシェテはダビデの前にひれ伏して、自分は‘王の前に死んだ犬のようだ’と申しました。するともっと驚くことにダビデは、「恐れることはない。私は、あなたの父ヨナタンのためにあなたに恵みに施したい・・・。あなたはいつも私の食卓で食事をしてよい」と言ったのです。メフィボシェテはまるで王の息子のようです。足が不自由であることなんか関係ありません。

    愛するみなさん。罪人の私たちはなんと恵まれているでしょう。王の王のテーブルへ招かれました。それは”ヨナタンのため”ではなく、尊い主イエスのため − 私たちは主のテーブル、すなわちパン裂きの集会に、安心して出席できます。 ある国、たとえば北韓国や中国ではそれが禁じられています。イラク、シリヤは今戦争中です。そちらの兄弟姉妹のために祈りましょう。

    ”測り綱は、私の好む所に落ちた。”
    (詩篇16:6)
    ★★★★★★★★★

     夏が終わってそろそろ秋を迎えますね。みなさんおからだをおだいじに、お元気でお過ごしください。私は御手に守られてげんきです。幸いに毎週のパン裂きや祈り会に出席できます。


    Gloria Speechley
    Sunnyside House, 25 River Wood Vale, BANGOR Co.Down, U.K. BT20 4QE
    Email:*******
    電話:*******
    2014:9:19


  • ■2014/8/16 (土)

  • ふじんメモ66「このような日は先にもあとにもなかった/ヨシュア10:14」
    主イエスの尊い御名を賛美いたします。みなさんはおげんきでしょうか。私は御手に守られて感謝しています。さてひさしぶりにふじんメモをお送りいたします。

    【創造】
    創世記1:31 そのようにして神はお造りになったすべてのものご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日

    【勝利】
    ヨシュア10:13 こうして、日は天のまなかにとどまって、まる一日ほど出てくることを急がなかった。

    【主イエスの誕生日】
    ルカ2:6,7 彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を生んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。
    同11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

    【十字架】
    マタイ27:35 こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、そこにすわって、イエスの見張りをした。また、イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである。」と書いた罪状書きを掲げた。(マルコ15:24-26,ルカ23:33,ヨハネ19:17-18)」
    マタイ27:37 そのとき、イエスといっしょに、ふたりの強盗が、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。
    同45 さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。
    ヨハネ19.30 イエスは、「完了した。」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。
    ルカ23:46 イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。

    【復活】
    マタイ28:5-6 すると、御使いは女たちに言った.「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを探しているのを、私は知っています。ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。…」

    【主イエスが上げられた日】
    使徒の働き1:9-10 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。

    【そして、もっとすばらしい日がくる】
    使徒の働き1:11 そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。

    黙示録1:7 見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。
    黙示録1:17-18。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。

    ★★★★★★★★★★★★

    2014:8:10

    Gloria Speechley
    Sunnyside House

  • ■2014/6/18 (水)

  • 「お手紙」
    主イエスの尊い聖名を褒め称えますように。 主にあって敬愛します三浦兄
    鹿児島集会の週報をいつも送ってくださることありがとうございます。
    私は元気です。さいわい私は日曜のパンさきと伝道集会、月曜日の祈り会に出席できます。
    今朝、Valerie(デクスター兄の娘)とルツ(ムーラン兄の娘)が尋ねてきました。Valerieのご主人はGordon Mullanです。楽しい交わりでした。
    ルツ姉妹のご主人はいま入院して、後にもう一本の足の指の切断手術をする予定です。兄弟は糖尿病に罹っています;すでに親指とそのとなりの指は、ばい菌が入っていたため手術をしました。
     ところで、昨日と今日はとても晴れて暖かいです。こちらの人は23℃で’暑い、暑い’と言います。オーストラリアや日本の夏を知っている私にこれは楽です。
    では今晩これだけで失礼いたします。お元気で、
    Gloria Speechley

  • ■2014/5/19 (月)

  • 「おたより/生涯を振り返って」
    主イエスの尊い御名を賛美いたします。いつも、便りありがとうございます。鹿児島でがんばっていることを嬉しく感謝しています。
    私は御手に守られています。4月24日右目の白内障の手術を受けました。来週の月曜日に眼科の先生にチェックがあります。これから左目です。
    今日は、私の救われたときの証を送らさせていただきます。
    キリストの愛にあって Gloria Speechley

    生涯を振り返って
     私は1926年にオーストラリアのシドニー市の西の方の炭鉱町に生まれました。私が3歳のとき、母がひとりで外出してバスにひかれて亡くなりました。私には母の思い出がありません。それで父と私は、母の両親の家に移りました。私が8歳のとき父は、自分の生まれたBrisbane市に帰ることにしました。それは600マイルぐらい北にありました。
     9月に引っ越して私は近所の小学校に入学しました。オーストラリヤの季節は日本と逆で12月の年末は真夏です。
     さて小学校の近くに諸集会の集会所がありました。父は子どもの時代に日曜学校に行きました―両親は別にクリスチャンでなくても―。それで父とその兄弟たちは日曜学校に出席していました。日曜学校は午後3〜4時でした。私もその日曜学校に出席して、はじめて聖書物語を聞きました。12月のごほうび会を楽しみにしていました。私は休まずに出席しました。一番すきなごほうびは本でした。
     12歳ぐらいのある日曜学校で私は‘だれも私を愛しません’と言いだしました。(何かのために叱られたのでしょう)。もちろんそのことはないのです。ことに父は私をよく世話してくれました。クラスが終わって先生は私をちょっととめて、‘Gloria,神様はあなたを愛しています’と言いました。  その時から私は救われたいと思って、ときどき寝るまえに祈りました。しかし別に感情的に何も変わりませんでした。寝室の壁にピリピ4章19節の「神は…あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます」の古いカード貼ってありました。(たぶんそのカードは父の妹が日曜学校でもらったでしょう。ある時このみことばが私の目にとまりました。私はそのことを考えて、神様が私のすべての必要を満たしてくださるのなら、私は主イエスを心から信じ受けるだけでいいです。それで安心して確信をもちました。
     私は本を読むことが大好きでした。外国の伝道者の伝記もいろいろ読みました。”神様、働き人を遣わしてください”と、時々祈りました。そう祈ると主は”あなた自身はいかがですか”と考えさせてくれました。それで主は、27歳のとき私を日本へ行くように導いてくださいました。40年ほど東京の伝道出版社で手伝いする特権が与えられたのです。

    Gloria Speechley
    22014:5:14

  • ■2013/12/04 (水)

  • ふじんメモ65「ブラジルから 」


     数年間ブラジルで奉仕したリード兄は次のような興味深いお話しをしました。

     アマゾン川あたりのManaus市に住んでいたCleberという青年が麻薬中毒に陥り、それを買うためにいろいろな犯罪―お金を盗むなど―を犯し、ある日、店の人を殺してしまいました。警察に捕えられ刑務所に入れられました。他の囚人とともに刑務所の外で仕事していたとき、Cleberが逃走し、Manaus市から1500マイル離れたRio Brancoへ行きました。そこにMariという婦人がいて、彼をかわいそうに思って自分の家に招きました。

     お金がなくなって困ってしまったとき、ふたりはRio Branco市にある家族がときどき貧乏人に食事の配給をしていると聞きました。そこで行ってみると、そこのご主人は家庭集会で福音を伝えたあと、集まった人たちに食事をさせていました。Cleberさんたちはそこで初めて福音を聞いたのです。幸いなことに、彼らは主イエスを信じて救われました。

     Cleberは聖書を読むようになり、バプテスマを受けたいと兄弟たちに話しました。兄弟たちは嬉しく思いましたが、Cleberは自分がManausの刑務所から逃げたことを告白すると、彼がまず刑務所へ戻るべきだと勧めました。Cleberは祈ってから、そうすることを決心して、兄弟たちに言いました。

     Rio Branco刑務所へ帰り自首し、27年の刑を受けました。Manaus集会のJenair兄は福音雑誌やトラクトなどを持って刑務所に面会に行き、Cleberと交わりました。Rio Brancoという町は、Manausから船でPurus川を通て5日かかるところです。刑務所の刑務官たちは、Cleberがどんなに変わったか気づきました。彼はまじめになり、刑務所内のいろいろな規則をちゃんと守るようになっていました。Cleberから福音を聞いて二人の囚人が救われました。

     Cleberが刑務所にいる間に、マリさんと結婚し、バプテスマを受けました。

     Cleber が刑務所で8年を過ごしたころ、刑務所の責任者は彼に帰宅の許可を与えました。ただし条件がありました。それは、3年間、Cleberがお昼に出かけていいのはRio Brancoの町だけで、しかも必ず午後7:30までには家に帰ること、毎月一度は警察署に必ず顔を出すことでした。そして今年(2013)、その条件のすべてを満たしたのです。

     最近、Cleberに市役所から驚くべき電話がかかってきました。Cleberに市役所の係りの補助者として勤めて欲しいというのです。
     Cleberは自分の過去を知らせ始めましたが、市役所の係りの人は途中でその話しをさえぎり、「その話はすでに刑務所から聞きました。この仕事をしてもらえますか」と聞いてきました。Cleber兄は今、市役所で責任ある仕事をしています。

     『これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。』(詩篇118:23)

    Gloria Speechley

  • ■2013/10/24 (木)

  • ふじんメモ64「国籍」
    私たちの国籍は天にあります。
    そこから主イエス.キリストが救い主としておいでになるのを
    私たちは待ち望んでいます。(ピリピ3:20)

     私はオーストラリアで生れて、両親もそうです。それで私の国籍はオーストラリアです。こどものとき国籍という単語でさえおそらく知りませんでした。ところが初めて日本へ行く準備にとりかかった時、まず第一は旅券を申し込むということでした。申込書を手に入れてそれを書き入れました。生まれた所とその日付、両親の名前など、いろいろ書いてサインしました。決まったサイズの写真も必要でした。

     他の国に行くのにも手続きが必要です。ただ訪問するだけか、商売するために行くのか、伝道のためか、それぞれの手続きがあります。私の場合は日本に入国する許可を申し込んだのです。
     日本に到着するとこんどは区役所で登録しなければなりません。そのすべては、日本国にとって私は外国人であるという理由からです。

    オーストラリアは昔から英国と関係があり国語は同じ英語ですが、私は実際には国籍が違いますからこちらでは外国人なのです。

     英語の聖書のピリピ3:20では「国籍」でなく「会話」となっています。これは古い使い方ですが、ある意味で私たちの言葉や行動がまわりにいる人たちに、私がどういう人かをよく表しています。ペテロが3度もナザレのイエスを知らない、イエスとは関係がないと言ったとき、ある女中さんが「確かにあなたもあの仲間だ。ことばのなまりではっきりわかる」と言いました。

    私たちはいかがでしょうか。ことばや行動は天の国籍にふさわしいでしょうか。


    ★★★★★★★★★★★★★


    なさんはお変わりありませんか。私は健康が守られていて、いつも集会に出席できています。Sunnyside Houseのヘルパーさんたち皆さんは親切です。食堂で4人組みになっています。幸い、わたしが腰掛けるテーベルのみなさんはクリスチャンです。主に感謝することが、本当にたくさんあります。
     では主のゆたかな恵みがみなさんに注がれますように祈って、この辺で失礼いたします。

    キリストの愛にあって、Gloria.
    2013:10:23
    Email: *************

  • ■2013/01/01 (火)

  • 年賀状
    わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
    エレミヤ 29:11

    新年おめでとうございます

    主があなたを祝福し、あなたを守られますように。
    主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように

    Gloria

  • ■2012/04/06 (金)

  • ふじんメモ63「補聴器や眼鏡」
     人間の体はなんとおどろくべきものでしょうか。ダビデはよく記しました。「私は感謝します。あなたは私に、奇すしいことをなさって恐ろしいほどです。私がひそかに造られ、地の深いところで仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。」(詩篇139:14,15)
     神の創造したものすべては完全でした。「そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。それは非常によかた。」(創世記1:31)
     アダムのからだはもちろん完全でした。しかし旧約や新約時代にいろいろな病気があり、からだの不自由な方がいました。それは罪が世に入った結果でした。
     眼鏡や補聴器はいつからできたかしら。私たちはそれが当たり前とばかり思っていますが、だれがそのようなものを考えたのでしょうか。
     私が初めてめがねをかけたのは20代の時でした。生まれつき聴力には何の問題もありませんでしたが、日本から帰国したのち、だんだよく聞こえにくくなりました。「兄弟たちはどうしてもっと大きな声で話してくらないのだろうか」と心の中で不平を言っていました。ところが問題は兄弟たちの声ではなく、私自身の耳が遠くなっていたのだと気付きました。今は片方だけでなく両方の耳に補聴器を入れています。すぐ最近、専門の方に来てもらって補聴器を掃除して、ボリュームも大きくしてもらいました。補聴器は人間が作ったものなのでバッテリーが必要です。
     めがねや補聴器は私にとって本当にありがたいものです、いや、なくてならないものです。
     見ることや聞くことについてのみことばが聖書の中に多くあります。慰めのことばがあり、忠告のことばもあります。
    「見よ。主の手が短くて救いえないのではない。その耳が遠くて聞こえないのではない。」の励ましのことばは、イザヤ書50:1に書いてあります。詩篇50篇1節には「苦難の日にわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。」と書かれています。 旧約の最後のマラキ書3章16節は幸いですが、ともに考えさせられることもあります。「主が自分を恐れている人の語り合いを聞いておられる」。語り合いはお祈りと違います。語り合いは日常生活の普段のこと、すなわち子どもやその学校、家事の用事、買い物などです。主がそのすべて聞いておられるのです。そのなかに非難、うわさ、悪口、不平、あるいは無駄な言葉がないでしょうか。罪人である私たちは、体だけではなく心も不完全です。


    インドから

    Shobanadri Puramは小さい小村落です。70ぐらいの貧しいヒンズー教の家族がそこに住んで、小さい畑や田んぼでできた収穫物で生活しています。もしいくらかが余ればそれを売るのです。しかし地主や仲買人は入ったお金の最大分を取るので、村人はいつも貧乏です。
     しばらく前にひとつの小さい諸集会がその村に誕生しました。どのようしてできたかが興味あるところです。
     となりの村にひとりの地主とその家族が住んでいました。彼の妻は密かにクリスチャンになりました。でも主人がそのことを知ってとても怒り、たびたび彼女に暴力を振るいました。それにもかからわずその奥さんは不平を言わずいつものように彼に仕え続けました。主人は不思議に思ってとうとう妻に尋ねました、「おまえはどうしてそのように親切に、黙ってわれわれの世話をしますか」と。彼女は「すべてが神様の愛です」と答えました。それから主イエスの愛、十字架にかかって罪人の身代わりとして死んでくださったことを話しました。自分は信仰によって主イエスを信じて救われたのです、と話しました。すると主人は十字架の話にとても感心して、彼も信じて救われました。
     さて、刈り入れの時がきました。地主はいつものように働き人を雇いはじめました。普通刈り入れが始まる前に地主は1頭の豚を犠牲としてヒンズー教の神々にささげ、刈り入れに利用する道具などに豚の血を振り掛けてお守りをお願います。でもクリスチャンになったこの地主はその儀式をしませんでした。そのため雇われた人々が刈り入れの仕事を断りました。
     地主はいそいでShobanadri Puram村へ行って働き人を雇いました。刈り入れがはじまるまえに地主は主イエス.キリストにお祈りしました。雇われた人々は仕事にかかり、だれも病気にならないで刈り入れが無事に終わったのです。
     Shobanadri Puram村の兄弟姉妹はこの話を聞いて励まされました。今小さな諸集会の集会所が誕生しています。私は昨日、愛する兄弟姉妹を訪ねて交わりました。兄弟10人、姉妹20人、青年10人が集まりました。

    2012:3月 K. Satyanarayana.(インドの兄弟)


     主にあって敬愛しますみなさんは上記のところを読まれて、励まされたことと思います。
     私は、Sunnyside Houseに住んでもう一年になります。神様はすべてを備えてくださって感謝しています。
     2012年4月3日

    Gloria Speechley

    住所: **********
    メールアドレス: **********
    <1-- Sunnyside House, 25 Riverwood Vale, BANGOR, UK BT20 4QE メール住所: gloriaspeechley@yahoo.co.uk -->

  • ■2011/12/27 (火)

  • ふじんメモ62「神ご自身が備える」
     サウルは神の命令に従いませんでしたので、主は彼をイスラエルの王位から退けました。そしてサムエルに、”ベツレヘム人エッサイのところへ行きなさい。わたしは彼の息子たちの中に、わたしのために、王を見つけた”と言われました。
     英文の聖書には’王を備えた’と書いてあります。(Tサムエル16:1)エッサイに七人の息子がいました。長男woはじめ6人がサムエルの前に出ましたが、主はその中から選びませんでした。最後にエッサイは羊の番をしていた七男ダビデを呼びました。そうすると主は言われました「この者に油を注げ。この者がそれだ。」と示しました。羊飼いダビデが選ばれた王として備えられました。

     ダビデの名前は主イエスの系図に書かれています。(マタイ1:1,6)。

     アブラハムとイサクの記事が創世記22章に記されています。神はアブラハムに仰せられました、「あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」

     アブラハムは翌朝早く起き用意して、イサクを連れて示された場所へ出かけました。その行く途中でイサクは父アブラハムに尋ねました。「火とたかぎはありまかすがいけにえのための羊はどこにあるのですか」と。

     アブラハムは、「神ご自身が全焼のいけにえのための羊を備えてくださるのだ」と答えました。

     ヘブル人への手紙11:17に‘信仰によってアブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただのひとりの子をささげたのです。「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。」と言われたが彼は神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。」 ところがイサクの代わりに一の雄羊が備えられたのです。

    “見よ、世の罪を取り除く神の小羊。”(ヨハネ1:29)
     バプテスマのヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見てそう言いました。神の小羊―私たち罪人のために神が備えられた雄羊が来られました。主イエスご自身は私たちに代わって罪を負って裁きを受けられました。主イエスは言われました、「わたしは良い牧者です。良い牧者はひつじのためにいのちを捨てます。」
    *************

     敬愛します皆さん、いかがお過ごしでしょうか。おそらく年末にいろいろのことで忙しいと思います。久しぶりのふじんメモですみませんでした。日本同様に、こちらはだいぶ寒くなりました。私がいま住んでいるSunnyside Residential Houseに暖房が入っていますので部屋は暖かくて快適です。主がすべてを備えてくださったことを感謝しています。
     皆さんが良い新年を迎えられますように祈ります。
     キリストの尊い聖名にあって
    Gloria Speechley
    2011:12:22
    メールアドレス:
    住所:
    電話番号:

  • ■2011/07/01 (金)

  • ふじんメモ61「縫い目のない着物」
     私は若いとき洋裁を覚えて、よく自分の洋服を作りました。紙の型を買って来て、生地をそれに合わせて切りました。それからミシンに糸を通して縫いました。縫い目のない洋服はもちろん作れませんでした。ところが聖書には「縫い目のないもの」が出ています。
     マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネはそれぞれ主イエス様の地上生活を記録しました。特に、十字架の場面を細かく書き残しました。マタイ、マルコ、ルカは、ローマの兵士数人がイエス様を十字架につけて、その前にすわって見張りをしていたことを書きました。兵士にとってそれは任せられた一つの仕事でした。そしてそれからくじを引いて、主の着物を四つに分けました。
     ところで、ヨハネはもうひとつのことを記しました。「また下着をも取ったが、それは上から全部一つに織った、縫い目なしのものであった。そこで彼らは互いに言った。それは裂かないで、だれのものになるか、くじを引こう。」(ヨハネ19:24)
     兵士は4人で、おそらく詩篇22篇18節に書かれてあった預言を知りませんでした。「彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします。」

     主イエスの神性と人性は私たちにとって偉大な奥義ですとパウロは書きました。「たしかに偉大なのはこの敬虔な奥義です。キリストは肉において現われ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」(Tテモテ3:16)

     主イエスの神性と人性との間に縫い目はありません。ふたつのそれぞれ違うものを合わせて縫ったのではありません。

     ユダヤ人は主イエスを訴えました。「あなたは人間でありながら、自分を神とする」(ヨハネ10:33)と。 実に、イエスさまは永遠の神ですが、人間となられました。それは、罪人を救うために肉体をとって、私たちの罪を負ってご自身でその罪に下るべき裁きを受けてくださったのです。

     天から下って来られた御方、肉となられた御方、縫い目のない御方。

    ※※※※※※※※※※※※※※※

    主にあって敬愛しますみなさん。

    お変わりはございませんか? 婦人メモを送ります。
    大変ご無沙汰しましてすみませんでした。実に、私にとって2011年にはいろいろなことが変わりました。1月中旬に私は家の中で転んで骨折をしました。10日ほど入院して、それから回復するところに移りました。6週間歩けなくて車椅子を使って生活しました。それから一人で生活することが少しむずかしいので、住んでいたところから、Sunnyside Houseに移りました。とてもよい部屋が備えられていました。ひとり部屋で、とても明るいです。そしてトイレとシャワーがあり、スタッフの方がお掃除や洗濯をしてくれます。そして食事も作ってくれます。すべては神様の豊かな恵みなのです。

    ※※※※※※※※※※※※※※※

    みなさんの夏のご奉仕が祝福されますようにお祈りします。


    Gloria Speechley
    2011:6:20

    メール住所:

  • ■2011/04/26 (火)

  • お手紙
    主にあって敬愛三浦兄

    ごぶさたいたしましてすみませんでした。最近私のことにいろいろのことがかわりました。手紙を書くこともだいぶ遅れてしまいました。

    1月の中旬私は転んだ! 10日ほど入院してから6週間回復する所へうつりました。6週間歩けなくて車椅子でした。
    それからZimmerにかかって動くことができました。その所から今のSunnyside Houseに移りました。しばらく前からいつかここに引っ越してくるように考えていました。ケアホームと違っていますが、掃除食事、洗濯をしていただきます。何かあればヘルパーさんに頼むことができます。

    Sunnyside Houseは長老派関係です。ManagerやほとんどのSeniorスタッフは信者です。住んでいる方の中にクリスチャンが多いですが、そうでない方もいます。今週の日曜日午後バプテストの牧師が来ました。Tコリント2:9を引いて良い話をなさいました。「目が見たことがないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの、神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」そして今人々は強いtelescopeを利用してずっと遠くにある星を見ることができます。耳でいろいろなすばらしい音楽などを聞くことができます。しかし神がご自分を愛する者のために備えてくださったところを想像できません。それはあまりにもすばらしいものだからです。聞いているみなさんの中に、まだ、実に神を愛すること(救われている方)がいないなら、ぜひよく考えてください。今週の木曜日の夜、うちの集会の兄弟が来て、聖書の話をします。毎月来ます。
    私の部屋は広く(10畳くらい)、2つの大きな窓もあります。トイレ、シャワーもあります。そしてお湯を沸かして自分で紅茶を作ることができます。食事はすべてdining roomでいただきます。食事は良いです。9a.m.1p.m5p.m.

    Sunnyside HouseはBangor(私が今住んでいる所)にあります。うれしいことは集会に出席できます。ある兄弟や姉妹が迎えに来ます。私は自由に出入りができます。神さまは私のためにすべてを与えてくださいました。コンピューターやプリンターも持ってきました。メールもできます。

    兄弟にメールをしようとしましたが、アドレスがなくなっていました。私のアドレスは:********です。
    いつも鹿児島集会の週報を送ってくださることをありがとうございます。今度の住所は、*********です。
    鹿児島集会の働きが豊かに用いられるように祈ります。

    キリストの尊い聖名にあって
    Gloria Speechley

    2011:4:17

    電話番号も変わりました。****************

  • ■2010/10/01 (金)

  • ふじんメモ60「よい羊飼い」
     このあいだ私はクリスチャンの会社のバスで5日間にイギリスに行きました。42人がバスにのっていましたが、私がそのなかの方々に知りあいはひとりもいませんでした。集会の兄姉はいませんがのった方はみな信者でした。ですからすぐにみなさんとよい交わりがありました。おそらく私はいちばん年上でした。皆さんは親切に私のいろいろの手伝いをしてくださいました。
     ホテルに泊まって毎日景色のよいところへ行きました。羊は多いでした。羊は白い動物ですがたまに黒いものもあります。羊に種類がいろいろあります。イギルスの羊は顔と足先は黒です。オーストリアの羊はメリノ種類で羊毛は多いです。
     ことに興味のあるのは羊囲いの入り口でした。とびらがないでしたが羊一匹が通る所がありました。主イエスは “私は羊の門です。わたしはよい牧者です。よい牧者は羊のためにいのちを捨てます。” 主イエスは羊の大牧者です。(ヘブル13:20)。
     旧約にも羊飼いのことは書いてありま。「わたしは彼ら(イスラエル)の上に牧者たちを立て彼らを牧させる。」−主の御告げ。」(エレミア23:4)。「私の先祖アブラハムとイサクがその御前に歩んだ神。きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神。すべてのわざわいから私を購なわれた御使い。」(創世48:15)。
     “主は私の羊飼い”
    ○○○○○○○○○○○○○○
    あちらこちらこちら
    グリーンランドの人口は57,000人です。
    世界にいちばん大き島です。86%水。
    都Nuukにひとつの諸集会があります。国語はデンマーク語とグリーンランド語です。Nuukにふたつのラジオの福音プログラムがあります。
    Faroe IslandsのHans Sivertsen兄は1970からNuukで主に奉仕しています。兄弟はキャンプや船を利用して伝度します。
    ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
    主にあって敬愛しますみなさん、いかがおすごしでしょうか。今秋のよい季節であちこちの特伝もあると思います。すべてが主に恵まれて用いられますようによように祈ります。
    グロリア。スピーリー   2010.10.1

    メールアドレス:
    メールするなれば住住よろしくお願いします。

  • ■2010/04/05 (月)

  • ふじんメモ59 「あじわったみことば」


    《神のこひつじ》

    創世記22:8 アブラハムは答えた、”神ご自身が全焼のいけにえの羊を供えてくださる。” ヨハネ1:29 バプテスマのヨハネはイエスが来られるを見て言った。「見よ。世の罪を取り除く神の小羊!」 ルカ2:11 きょうダビデの町であなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 マタイ2:2 はかせたちがエルサレムにやって来て、こう言った、”ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので拝みにまいりました。” マタイ3:17 天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」 ルカ2:49 イエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお探しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存知なかったのですか。」


    《ふたたつの門 広い門せまい門》

    出エジプト27章に書いてある幕屋の寸法の西のほうは50キュビトで、その入り口は20キュビトで、23mメートルぐらいです。旧約時代のささげ物は動物なのでかなり広い入り口が必要でした。ささげ物をささげる人は自由に入ることができました。ただし、まず先にその牛や羊を殺して血を流さなければなりませんでした。 『いのちにいたる門は小さく、その道は狭く』と主イエス様は語られました。主イエス様はおひとりでまずその狭い門から入られて、その尊い御血を流されました。罪人は一人ずつ個人的に主イエス様を信じてその狭い門から入るのです。

    ??????????

    主にあって敬愛しますみなさん、4月になりましたがこちらでまだあまり暖かくなっていません。日本はいかがでしょうか。3月に私が属している集会は商店外のホテルで「創造か進化論か」のテーマで講座を計画しました。それはなかなか集会所にはいらない人々のためでした。講座ですなのでお祈りや賛美歌はせずに、進化論の学理を細かく調べた兄弟がPower Pointを活用して、興味深い説明をしたのです。ありがたいことに数人の未信者が出席しました。当集会の兄弟姉妹はもちろん、数人の集会以外の教会のクリスチャンも来ました。

    主の豊かな恵みがみなさんに注がれますようにお祈りいたします。
    スピーチリ.グロリア
    2010:4.5

  • ■09/10/04 (日)

  • ふじんメモ(58) 「神の小羊」
    Tペテロ1:20 世の始まる前から知られていました。
          (使徒行伝2:23 「神の定めた計画と神の予知とによって」

    創世記3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置
          く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。

    創世記22:7,8 イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」すると彼は、「何だ。イサク」
          と答えた。イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、
          どこにあるのですか。」  アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの
          羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。

    ヨハネ伝1:29 その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を
          取り除く神の小羊。

    Tヨハネ4:14 御父が御子を世の救い主として遣わされた・・・。

    Tペテロの手紙1:18,19 ご承知のように、あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から贖い出さ
          れたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリス
          トの、尊い血によったのです。

    黙示録21:22,23 私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる
          主と、小羊とが都の神殿だからである。 都には、これを照らす太陽も月もいらない。という
          のは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。

    黙示録5:12 「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわ
          しい方です。」

    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

    あちらこちら ― ルーマニア

    度々ルーマニアへ訪ねるKelso兄からの連絡:
    「数年前には、ギタと言う人は妻レヌタが集会へ行くことを禁じました。彼は‘あの悔い改める彼ら’に非常に敵対していて、レヌタが集会へ行くことをいやがりました。それでもレヌタが続けて集会に出席したので、ギタは彼女が自分の命令に従わなければ歩けないように足の裏をナイフで切る、と脅しました。それにもかかわらずレヌタは神様に従う決心したので、ギタはあの残酷なおどしをとうとう実行したのです。
    先日、私はある兄弟と共にギタの家の近状を訪ねたとき、以前は挨拶も絶対することのなかったギタが、自分の家に歓迎してくれました。私たちを迎えると、ギタはすぐに、レヌタのことを話し始めました。涙を流しながら、ギタはレヌタがいかに主に忠実であり、村中でりっぱなあかしを立てたかについて話してくれました。そして自分がどんなにひどいことをしても、レヌタは『神様はあなたを愛しているのですよ』と言い続けていたこと。そしてとうとうギタは、自分の悪意を神の前に悔い改めたのです。
    長い間、集会の兄弟姉妹をいやがっていたギタは、今みんなと一緒に集まってみことばを聞き、神様を賛美しているのです。このようすを見れたことは、どんなに幸いなことだったでしょうか。」

    (この話しを読んだとき、私はあらたにTペテロ3:1,2を考えさせられました。)

    ★★★★★★★★★★★★★★★★

    敬愛しますみなさん、おげんきでしょうか。私は主の恵みの手に守られて、日々を過ごしております。9月になり、日本は秋の季節。ずいぶんと過ごしやすくなったことでしょう。 こちらの兄弟は5−6年前からMalawi (Africa)で奉仕しています。しばらく前に書店を開きました。先日兄弟のお母さんから電話がかかってきて、‘Malawiの書店で日本語の聖書を頼まれたけど、どこで手に入れることができるか、Speechley姉妹に聞いてください’と連絡してきました。私はすぐに伝道出版社の北嶋兄に頼んで送ってもらいました。今朝、姉妹が取りに来たと聞きましたので、どうしてその日本語の聖書が必要なのですかと聞きました。実に、日本の若い婦人が店に来て、聖書を求めていたのです。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

    主にあって敬愛しますみなさん
    お元気でしょうか。10月になってあちらこちらで特伝があると思います。こちらの夏休みは6,7月で、新学期は9月からです。それで今は、日曜学校も水曜のこども会(7-8p.m.)も夏休みです。私が属している集会で今月19-23日に特別こども会を開きます。これは例年のことです。今年はイギリスの兄弟に頼んでいます。今、日曜学校や子ども集会は30〜40名が来ています。日曜学校はクラスに分けてしていますが、水曜日はみな一緒です。
    私は御手に守られており、主の大いなる恵みを感謝しています。日本からのメールや手紙をいつも楽しみにしています。

    では皆さんも豊かに恵まれますように、お祈りいたします。

    グロリア スピーチリ。2009:10.3

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  • ■08/07/19(土)

  • ふじんメモ55 「エステル記を考えて」
     主イエスの尊い後名を賛美いたします。
     敬愛します三浦兄。
     いつもの週報ありがとうございます。きょう6月号をいただいて、渡辺姉妹のご両親が福音集会に主席しましたことを読んでとても嬉しくおもいました。私は千賀子姉妹をよく知っています。五月9年ぶりに4週間に日本を訪ね府中集会のみなさんと楽しく交わることができました。
    ご存知で、リデルス姉妹は1月に召されました。落ち着いてから、私が元気のあいだに日本を訪ねることができて感謝です。東京に滞在して、京都、群馬県、青森県までも行きました。愛する日本の兄弟姉妹や外国の兄弟姉妹に会うことができました。遠くて会えない方に電話で連絡しました。倉敷のロンゴ兄、室蘭のグドール兄姉、札幌のファアフィルード兄姉。数年群馬県で奉したムーラン兄の娘さんルツさんはともに行ってくださいました。
    たまたま到着した4月30日に、伝道出版社の新刊’日が沈むまでに’ができあがりました。それはリデルス姉妹と私が前に’みことば誌にあった’婦人メモ’のページのために書いたいくつかのところからです。
     ぱーく・チャペルの働きが豊かに祝福されますように。私がはじめて聖書の話しを聞いたのは、8歳の時、初めて日曜学校へ行ったときでした。ほとんど休まずに出席して、14歳で主イエスを自分の救いに主として受け入れ救われました。
    さて、こんどの’ふじんメモ’を下記につけます。キリストの愛にあって、スピーチリー
    ふじんメモNo.55 「エステル記を考えて」
    エステル記をただの物語として読んでもそれはとてもおもしろいのですが、その中に学ぶところもあります。それを少し考えてみましょう。

     1章5節に、アハシュエロス王がすべての民のために七日間、王宮の園の庭で宴会を催したことが記してあります。7節によると、その宴会で王の勢力にふすわしく王室の酒がたくさんありました。 ヨハネ伝7章に、主イエスは仮庵の祭りにエルサレムへ行かれたことが記されています。その祭りは7日間でした。37節、38節に、”祭りの終りの大いなる日に、イエスは立って,大声で言われました。「だれでも渇いているなら、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」と書いてあります。主イエスが与えるのがどんなに豊かで、王にふさわしいものでしょうか。

     エステル記2章18節に、王は模ようしたもうひとつの大宴会、エステルの宴会、があります。王はその勢力にふさわしい贈り物を配りました。黙示録19章9節に、「小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ。」と記されています。小羊は、王の王、主の主、主イエスです。

     3章に、アガグ人ハマンは出て来ます。そのハマンはユダヤ人を迫害する者でした。8章1節の英文約は、”ユダヤ人の敵”です。民数記24章に皆さんのよく知っているバラムの話しがあります。バラムはイスラエルについて預言を語りました。

    7節にこう言いました、「その王はアガグより高くなり、その大国はあがめられる。」ユダヤ人の敵ハマンはサタンに用いられてイスラエルを滅ぼそうとしました。それは不可能です。メシヤはイスラエルの子孫としてお生まれになるべきです。

     4章11節。1章14節を見ると、アハシュエロス王の側近の者は七人の首長で、彼らは王と面接ができました、つまり王を守るわけです。4章11節によると、王に召でれないで内庭に入る者は死刑になる法律がありました。

     主イエスは十字架の御業でだれでもご自分のみもとに来るように、道をお開きなさいました。私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、大胆に(口語訳、はばかることなく)恵み御座に近づくことができます。(ヘブル人への手紙4.16)。言うまでもなく、それは横柄にではありません。神は義なるお方でございます。私たちは恵みによって救われた罪人だけです。

    5章1節、「3日目にエステルは王妃の衣装を着て、王室の正面にある王宮の内庭に立った。」エステルにとってそれは将来を決まる日でした。彼女はどうなるか分かりませんでした。主イエスは、ご自分が死なれて、3日目に甦る、とたびたび弟子たちにお話しなさいました。主イエスはご自分が3日目によみがえると言われて、いつものように、そうなるのが決まっていました。(マタイ伝12:40,16:21など)。

    6章6節。「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらやかろう。」エステル記の話しに、それはモルデカイでした。ハマンがモルデカイを滅ぼす計画を立てたが、神はモルデカイを高めるようになさいました。

    神様が栄誉をお与えになさる方は、モルデカイやハマンではなく、御子主イエスでございます。ユダヤ人は主イエスを見て叫んだ、”除け。除け。十字架につけろ” とどなりました。異邦人ローマの兵士たちは主イエスに「緋色の上着を着せ、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。そして、彼らはイエスの前にひざまずいてからかって言った, “ユダヤ人の王さま。ばんざい。”」
    主イエスは今、栄光と誉れの冠をかぶっています。(ヘブル2:9)。神が栄誉をお与えなさる方は愛する御子、王の王、主の主、イエス.キリストであられます。来る日に、「イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス.キリストは主である。』と告白します。」

     7章7説に、王はエステルに、”王国の半分でも、それをかなえてやろう。”と言いました。地上の王国はふたつに分ける、あるいは完全に滅ぼすことができますが、神の国は分けることや滅ぼすことのない永遠の国です。永遠に存在する主イエスはその王でございます。

     8章15節。「モルデカイは、青色と白色の王服を着、大きな金の冠をかぶり、白亜麻布と紫色のマントをまとって、王の前から出て来た。」あらぬのをまとい、灰をかぶるユダヤ人モルデカイは、高かめられて、王服を着て、大きな金の冠をかぶりました。

     ローマの兵士は主イエスのみかしらにいばらの冠をかぶらせました。黙示録14.14にヨハネは、頭には金の冠をかぶり、手には鋭いかまを持っておられた人の子、主イエスをみました。他の冠すべては、御座の前に投げ出され、すべての声がそろって言います。「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。」

     9章14節。モルデカイは王宮で勢力があり、ますます勢力を伸ばす人物だった。10章2、3節、モルデカイの偉大さ。。。。モルデカイが王の次に位いし、

     主イエスはだれにも次になりません。
    御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自分がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。(コロサイ1章18節)

    ○○○○○○○○○○○○○

     主にあって敬愛します兄弟姉妹はおげんきでしょうか。私は御手に守られて感謝しています。主の恵みに、5月に4週間に日本をたずねることができました。大勢の兄弟姉妹に逢うことができて、とても楽しかったのです。

    こちらで属している集会は例年に、7月に12日間の特別路傍伝道集会を計画しています。。市役所の許可を得て、ふたりの兄弟に頼んで午後3−4時の一時間の予定です。みこころならよい天気がありますようにお祈りしています。きょうは雨がふって、かなり寒い日です。
    みなさんのこれからの働きに主のゆたかな恵みがみありますように祈ります。
    Gloria Speechley
    2008:6:21
    メールアドレス:

  • ■08/03/30(日)

  • ふじんメモ54 「エリヤについて」
     だいたんにアハブ王に向かって神様の裁きを語ったエリヤは、カルメル山にエホバのたったひとりのしもべとしてバアルの大勢の預言者と立ち向かって、祈りによって天から火を下していただきました。しかしその後に、ひとりの悪意のある女、ィぜベルに恐れて一目散に逃げました。そしてえにじだの木のかげにすわり、自分の死を願いました。そんなりっぱな信仰を見せたエリヤはあわてて恐れに負けて、それ以上がんばることができない、と失望してしまいました。
     しかし哀れみ深い主はその祈りにお答えなさいませんでした。かえって愛と哀れみをあらわしましました。エリヤが木のかげに横になって眠ったとき,み使いがエリヤにさわって、「おきて、たべなさい」、と言って、エリヤのあたまのところに、焼け石でやいたパがしらと水のはいったつぼがありました。このことは2度もありました。そしてこんどは、み使いが、『おきて、たべなさい。たびはまだ遠いのだから』、と言いました。(英文の聖書は、「たびはあなたにあまりお遠い」)。それからエリヤはホレべ山までに行きました。そこで、主はエリヤに語って、『エリヤ。ここで何をしているのか』、と。エリヤは答えて、『私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけがのこりました。』と。けれども主は彼に、「わたしはイスラエルの中に七千人をのこしておく。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である」、と言われました。エリヤは自分がひとりだけで戦っていないことを知りました。戦いは主ご自身のことです。
     私たちも失望するときがあります。りっぱな信仰者エリヤにくらべられない私たちですが、ある点で彼に似ています。すなわち、なにか恐れて不信仰者のような行動をしてしまいます。また、自分だけが忠実だ、と思って、他の兄弟姉妹を非難しがちです。しかし、他の兄弟姉妹のことを訴えるのではなく、彼らのために祈るべきです。マタイ7章1節に、忠告があります。  さいわいに、のちに、エリヤは主イエスとともに、変容の山にたちました。主の愛は決して絶えることがありません。
    K.リデルス

    ○○○○○○○○○○○○○

     こちらはまだ寒いですが、日本はきもちのよい春になったと思います。みなさんはいかがおすごしでしょうか。こんどの婦人メモはリデルス姉妹の書いたものですが、おそらく兄弟姉妹はすでに、愛姉は1月に御元へ召されましたことをごぞんじでしょうと思います。主の恵みに、私たちは54年ほどともに生活し、ともに日本で主に使えることができました。いまひとりで生活するのがやはりさびしく思いますがリデルス姉妹は主イエスとともに、もう痛みのないところで、やすらかにおることを感謝しています。
     さて、みこころなら、私は五月に日本へ行くよていです。とても楽しみにしています。鶴見の学び会に出席して、ひさしぶりに兄弟姉妹に逢うことを楽しみにしています。 キリストの愛にあって、
    スピーチリー。グロリア 2008:3:24 

  • ■07/09/08(日)

  • ふじんメモ53 「私のあかし」
     私は8歳のとき日曜学校へ通うになって初めて聖書の話を聞くことができました。12歳ぐらいのときと思いますがある日曜日にクラスの先生の姉妹は私をちょっとあとに止めて、神様は私自身を愛しておられることを言い聞かしました。そのときまで私はもちろん先生の教える聖書のことを全部がほんとうだ、と信じましたが、その日にはじめて神様が個人的に私を愛していることを悟りました。そのときから私は救われたい、とたびたび考えました。救いの話をすべて信じましたが、救われた確信が中々ありませんでした。時間たちましたが、ある日ピリピ人への手紙4:19のみことば、『神は、キリスト.イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。』が心にとまりました。もう古くなっていましたが、この聖句のカードは寝室のかべにはってありました。おそらく父の妹が数年前に日曜学校でもらったものでしょう。当時私と父は彼の自家に住んでいました。(母はすでに交通事故でなくなりました。)そのみことばを考えた、そうだ!私のいちばん必要とすることは、救いなのです。それはすべて神様がすでに主イエス.キリストの十字架によって用意してくださったこと。自分はすなおにそれを受け入れることだけ、感謝することです。それで15歳の誕生日の前の日でホットして救いの確信を持つことができました。それからもう六十六年がたちました。忠実なる主はよわい者をお守りして、すべての必要を満たしてくださいました。
    こどもたちに聖書のことを教える兄弟姉妹、がんばってください。ぜったいにむだになりません。暗証聖句をよく覚えさせてください。聖句の書いてあるカードなどを子供たちに上げることも。
    あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。(伝道者の書11章1節)

                    ○ ○ ○ ○ ○

    いのちのパン
    南アフリカで主に奉仕しているGrieve兄はエマオ通信教育を利用しています。それを受け取っている方々のなかに刑務所にいる人もかなりおります。Grieve兄の手紙によると、ある刑務所の囚人たちはできた質問の答えを返すための〒切手代を手にするため、自分に配られるパンを他の囚人に売っています。彼らは熱心に聖書を勉強したいようです。普通に刑務所のほうで切手代をだすそうですが、その刑務所はあまり協力しません。

    ラマダンの断食祭
    これはイスラム教の重要な祭です。今年は9月13日から30日間です。そのあいだに日の出から日沈までにかたく断食をするわけです。イスラム教国にいるクリスチャンはそのときことに監視付きです。どうぞ兄弟姉妹を祈りに覚えてください。

    トルコで殺された兄弟三人
    数週間前に、トルコのある町に、ふたりのトルコ人と一人のドイツ人兄弟が非常に残酷に殺されました。三人はある聖書関係の出版社の事務所にいたとき、5/6人のイスラム教徒が入ってきて彼らを殺しました。ドイツの兄弟とひとりのトルコの兄弟は妻と小さい子供たちを残しました。ドイツ人の姉妹は続けてトルコに奉仕してます。もうひとりのトルコの独身兄弟の家族は彼がクリスチャンとぜったいにみとめなくイスラム教の葬式を上げたそうです。

    宮崎県の刑務所伝道
    このあいだたまたま聞いたことですが、宮崎市のあたりであるクリスチャンたちが刑務所を尋ねて福音を伝えているそうです。

                    ○ ○ ○ ○ ○

    皆さんは今年の例年以外の暑い夏をいかがお過ごしでしたでしょうか。こちら北アイルランドは違ってほんとうに夏らしい日が少ないでした。でも私たちはあいかわらず御手に守られて、兄弟姉妹と暖かい交わりに恵まれて、感謝しています。日本からの頼りもいつも喜んで読ませています。ありがとうございます。愛する兄弟姉妹の秋のはたらきがゆたかに用いられますようせつに祈ります。

    では、キリストの愛に、

    G.スピーチリー、K.リデルス
    メールアドレス:
    どうぞよろしくお願いします。2007:9:5


  • 管理人; 2008-04-01更新;
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